わたしの体験した震災①
こんにちは。
今日もジャニーズと全く関係ない記事ですので悪しからず。
今日はねぇ、東日本大震災の話でもしようかな、と思います。
わたしがわたしの人生を語るうえでなかったことには出来ない大きな出来事です。
長くなりそうなので、何回かに分けて投稿していこうかなぁと。
記録として残しておいた方がいいよなぁと。
9年目にしてようやく重い腰が上がったような、上がりきってないような。
9年前の記憶を頼りに。わたしの実体験です。
当時わたしは、友人と仙台の町中にある仙台フォーラス近くのカラオケ店の1階の受付で順番待ちをしているところでした。
そこのカラオケの1階受付は、照明が小さなシャンデリアになっていて
そのシャンデリアがものすごく揺れていたのを覚えています。
外に出たくても揺れが強すぎて椅子に掴まっていることしかできず、
友人がわたしに覆いかぶさって守ってくれていました。
すごいよね、咄嗟に隣の友人を守ることが出来る人ってなかなかいないんじゃないかな。
その時はそこまで感じれなかったけど、今思うと本当にすごいなぁ、、
そんな友人をわたしも大事にしなきゃなぁと改めて思います。
揺れが収まってすぐに外に出ました。
仙台住んでいる人には分かると思うんですが、仙台フォーラスの隣側って大きな2車線道路になってるんですね、普段は車が何台も何台も通るような道路なんですけど、そこに人がぶわーーーって出てきてて。
というのも建物の下の歩道は、いつどの建物が倒れてくるか分からないから危険。
だからみんな道路の真ん中へ避難していたんです。
何分かそこにいました。
震災直後は電波は悪かったけど、携帯は使えて家族の安否確認なんかをして。
ドキドキはしてたけど、そこまで大ごとだと思ってなくて
とりあえず歩いて仙台駅に向かい帰ろうと。
この時点で危機感はそんなにありませんでした。
仙台駅について、電車が全休してたり、
歩道橋が壊れてるのを見て、「あ、ちょっとやばいかも」って。
そんなレベルで。
友人の親戚宅があったので、徒歩で1時間以上かけて向かいました。
そのときの道のりを少し覚えていて。
そこで少しただ事じゃないというのは感じ取ったかなぁ。
メトロポリタンの人がシーツを配っていて寒さしのぎに頂いたり(当時は雪が降っていたので相当寒かった)
渋滞しまくる道路の脇は、育英(学校)のブロック塀が崩壊寸前で斜めになっていて、歩く方も運転する方もヒヤヒヤしていたり。
非日常がそこにはあった。
仙台の町中のコンビニはレジが止まっているから手打ちでレジをしていたし
レジの列も見たことないくらい長かった。
陳列棚にはほどんど商品は残っていなかったし、レジに並ばないで商品を持っていってしまうひともいた。
そんなこんなで友人の親戚宅で一夜を明かた。
その一夜も忘れられない一晩になったけど、ちょっとまだ書けないかなぁ、、すみません、、
翌日友人の父に家まで車で送っていただいた。
いつも使っている道は、道路が割れていたり通行止めだったりで、みたことない不思議な道を通って送ってもらった。
今思うとガソリンも供給されてない中で、車の中にある残りのガソリンで家まで送り届けてくれたの、本当にありがたいよなぁ、、、感謝してもしきれないです。
というわけで家に着いたのが震災から一夜明けた3月12日の午後でした。
家についてからのお話はまた次回。
毎年、寒い時期になるとなんだか気分が憂鬱になったりナーバスな感じになってしまうのは、悪いことじゃなくて、もう致し方ない。そう思ってそんな気持ちも含めて、自分らしく生きていかなきゃならないなぁと思います。今は。